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「常識に捉われない、知的探究心の成せる技とは?」

その手に魂が込められなければ、芸術は生まれない。
(魂がこもっていなければ芸術はない)

シンプルさは究極の洗練である。
(シンプル=洗練)

人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、あるいは正確な発明をすることは決してできない。なぜなら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである。
(すべては自然から創造される)

人間固有の行動がどれほど多様であるか君にはわかるだろうか。また動物や草木や花の種類がどれほど数多いか君にはわかるだろうか。山地や平地、泉、川、都市、公共建築物、住宅、そして人が使う道具、衣装、装飾、美術、この世はなんと学ぶべきことが多いことか。
(この世は学びたいことであふれている)

わからないことがあると私は答えを求めて田園をさまよった。なぜ貝殻が山の頂上で見つかるのか。しかも、海にあるはずのサンゴや海藻などの跡をつけて。雷はなぜ起こった後までなり続けるのか。雷光は起こった瞬間から目に見えるのに、雷鳴はなぜもっとあとになって聞こえるのか。水に石を投げると、水面に輪ができるのはなぜか。鳥はどうして空中にとどまっていられるのか。こういう数々の疑問や不思議な現象が私の心をとらえていた。
(疑問に思ったことをとことん追求する)

我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある。この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。分割できないものと割り切ることができるし、割っても掛けても、足しても引いても、同じ量になるのだ。
(無こそ最も素晴らしい存在)


これらの名言はルネサンス期の偉人、レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉です。

芸術家、科学者、発明家として多才なレオナルド・ダ・ヴィンチ。絵画だけでなく、彼はさまざまな分野で活躍しました。

なぜ芸術と科学という対極する領域を探求したのでしょうか?

相反するものを取り入れ、未来に向けた思考を持つダ・ヴィンチの探究心から生まれる美と領域を横断する力に触れることによって、私たちも学びたいと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチとは
レオナルド・ダ・ヴィンチとは、1452年から1519年にかけて活躍した芸術家であり、ルネサンスの三大巨匠の一人です。彼はミケランジェロやラファエロとともに称され、その才能と創造力でルネサンスを代表しました。

ダ・ヴィンチは、イタリアのアンキアーノ村で生まれ、5歳の時にヴィンチ村へ移り住みました。彼は15世紀後半から16世紀前半にかけて活躍したイタリアの芸術家であり、数々の名作を生み出しました。その中には「モナリザ」や「最後の晩餐」などがあります。

ダ・ヴィンチは芸術のみならず、数学、生物学、解剖学、天文学、地質学、物理学、力学など、多岐にわたる分野で才能を発揮しました。そのため、「万能の天才」とも称され、現代の私たちにも影響を与え続けています。彼は人類史上最も多才な人物の一人とされています。

レオナルド・ダ・ヴィンチとモナリザ
ダ・ヴィンチを考察する上で欠かせない作品の中でも、最も有名な絵画がモナリザです。

これまで、様々な手法でモナリザの魅力の秘密が研究されてきました。特に注目されるのは、表情の左右非対称性です。モナリザが多くの人を惹きつける不思議な魅力を持つのは、ダ・ヴィンチが脳の顔認識の左右差を計算に入れて意図的に描いているという説があります。

実証データから、私たちが絵を見て美しいと感じるとき、脳の右半球よりも左半球が活性化していることがわかっています。モナリザは顔の左半分を見る側に傾け、微笑みを浮かべています。これは脳のコミュニケーションをつかさどる左半球を刺激している効果があります。一方、モナリザの顔の右半分は、どこか不安そうで複雑な表情をしています。これは脳の右半球を直感的にネガティブ表情に注意するよう刺激している効果があります。この左半球と右半球、そして脳への刺激が同時に処理されることで、私たちはモナリザに心惹かれる親しみ深さと同時に不思議な陰影を感じるのかもしれません。モナリザにはモデルとなった人物像や歴史的背景、構図など、さまざまな視点から不思議な魅力が感じられる作品です。

レオナルド・ダ・ヴィンチとモナリザ。芸術家でありながら科学者でもあり、さらに発明家としても名高い、まさに万能の天才です。ダ・ヴィンチは芸術のみならず、流体力学や生物学の熱力学、大自然の法則、宇宙の真理まで幅広い分野にわたって探求者として活躍しました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の数々
モナリザ、最後の晩餐、ウィトルウィウス的人体図など、彼の作品は宗教的および学術的な背景を含んでいます。

特に最後の晩餐は、映画『ダ・ヴィンチ・コード』の題材にもなり、イエス・キリストを中心に謎めいたメッセージ性を持つ絵画です。この作品はユネスコの世界遺産(文化遺産)としても登録されています。

最後の晩餐は一見するとただの食事の場面に見えますが、実は聖書の内容と照らし合わせると別の側面が浮かび上がってきます。聖書ではイエスが自身を天から降りてきた生きたパンであると述べています。そしてこのパン、つまりイエスの肉を食べることによって永遠の命を得ることができると暗示されています。同様にイエスの血にもその効力があると言われています。したがって、晩餐中に登場するパンやワインは彼の血肉を象徴し、言い換えればイエスの復活によって与えられる加護を受けることを意味しているとも捉えることができます。ダ・ヴィンチは一つの側面だけではなく、さまざまな意味を描き出しています。

他の作品にはウィトルウィウス的人体図があります。

この作品では、当時の建築家であるウィトルウィウスの建築論に基づき、円や正方形の中にいる男性像を描くことで黄金比を表現しています。

黄金比は建築に限らず、日本人にも馴染みのある感覚であり、白銀比とともに美しい調和の比とされています。この比率は私たちの日常でもよく使用されています。

ダ・ヴィンチの生い立ちについて
レオナルド・ダ・ヴィンチの名前の由来は興味深いです。「ダ」は〜出身を意味し、当時は名字を持つ人々が珍しかったため、土地や職業を名前に付けて同じ名前の人を区別していたそうです。

したがって、日本語に訳すと「ヴィンチ村出身のレオナルド」という意味になります。

ダ・ヴィンチは幼少期に学校に通わず、公式な教育を受けていませんでした。彼は自然に囲まれたヴィンチ村で自由奔放に育ち、後にフィレンツェに移り、ボッティチェリらと共に画家の見習いとなりました。

ダ・ヴィンチの師匠であるヴェロッキオは、彼が描いたキリストの洗礼に驚き、その後一切筆を持たなくなったという逸話が残っています。

ダヴィンチの独自の世界観
公的な教育を受けなかったことが、ダヴィンチの才能を開花させる契機となりました。

彼は徹底的な知的探究心から、ウィトルウィウス的人体図をはじめとする人体構造の解明に貢献しました。眼球の解剖によって光と眼鏡の原理を明らかにし、妊婦の解剖によって胎児の成長過程を把握しました。

ダヴィンチは医学的な側面だけでなく、30歳の時点で軍事エンジニアとしても活躍していました。戦車や敵の侵入を防ぐ回転式の橋など、建築物のデザインにも取り組んでいました。

彼はメモを頻繁に取っていたとされますが、興味を持った事柄や思考を記す際、すべて鏡文字で書いていたという特異な特徴もあります。彼の中にはパラレルワールドが見えていたかのような印象を与えます。ただし、彼は非常に飽きやすい性格であり、完成作品は数十点しかないと言われています。

芸術と科学を越境する
ダ・ヴィンチの強みは、芸術と科学という分野の枠組みにとらわれないことにあると考えます。

たとえば、数学と音楽は一見すると別々のものと見なされがちですが、考えを深めると、音は空気の振動として表現される波形であり、このパルス波形はアナログからデジタルの2進数表記に変換することも可能です。

「越境する思考」=「領域を横断する力」
(越境する思考とは、異なる領域を横断する力を指します)

ダ・ヴィンチの持つ飽くなき探究心と絶え間ない創造力。

そういった常識に捉われない多角的な視点が、ダ・ヴィンチが残した私たち現代人へ訴えかけるメッセージなのかもしれません。

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